浅水と北上川の歴史

『浅水米』のブランド化。かつての献上米の里「登米市・浅水」に新しい火を – FAAVO宮城 https://faavo.jp/miyagi/project/3352

浅水の傍を流れる北上川は水量が多く、かつては非常に流れの強い川でした。洪水によるの水害も多かったそうです。
このことから伊達政宗は仙台藩のお米の収穫量を増やすため、登米城主である白石相模宗直に命じ慶長10年(1605年)から慶長15年(1610年)までの5年の歳月をかけ川の形を変えるという大規模な河川工事が行われました。

独特な形の防堤は白石相模宗直の名前をいただき「相模土手」と名付けられました。浅水地域の人々にはこの大きく蛇行した部分を「曲げ袋」という愛称で今でも親しまれています。
この工事によって洪水が少なくなり安定してお米が栽培できるようになりました。

(画像引用元:宮城県東部地方振興事務所登米地域事務所:https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/et-tmsgsin-ns/kyodo-0202-01.html

相模土手完成の6年後、伊達政宗の家臣である川村孫兵衛重吉によって元和2年(1616年)から寛永3年(1626年)の10年間かけて行われた工事以降は、お米を運搬する運河としての活用もされました。


現代では運河としての活用はされていませんが、ポンプ場にて北上川の水を組み上げ水田の水源として栄養豊富な水を活用できるインフラが整っています。

地域おこし協力隊
サイトー隊員

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