浅水の「白山神社」さんへ行ってきました

いつもお世話になっております。地域おこし協力隊の齋藤です。
今回は浅水の長谷山にある「白山神社」さんへ行ってきました 。

入り口は米谷大橋から錦桜橋の間の道路から一本入ったところではありますが、見晴らしがよく簡単に入り口を発見することができると思います。

登米市が管理する「中田長谷山公園」の先に「白山神社」があります。
本堂までの参道は階段で登ることもできますが、車道があり車で坂を登ることもできます。

長谷山はかつて初瀬山と言い、762年に藤原恵美朝臣すなわち藤原仲麻呂が当山を上り、霊山としての素養を見いだし、山頂に笏を埋納したとされています。
その際に「宮柱太く立てて萬世に今を栄えん笏納の峯」と御誓歌を奉じたそうです。

こちらの白山神社は実質的には前回ご紹介した「長谷寺」よりも歴史が古く、768年釋勝道上人(しゃくしょうどうしょうにん)が初瀬山へ入山し、石川県の山岳信仰であった、白山妙理大権現=白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)を勧請したことがきっかけとされ、白山堂として崇められました。

その後、807年に同山に坂上田村麻呂が奈良県より長谷寺、稲荷大社、愛宕神社を勧請し、長谷観音堂を建設し戦勝を祈願したとされています。

長谷寺が勧請されたことで、この初瀬山一帯の神社仏閣を「長谷寺」として以降称され、初瀬山は長谷山と呼ばれるようになります。

そして江戸時代に長谷寺が伊達家初代宗直の領地となりますが、火災により消失します。

現在の長谷寺(白山神社含む)は1824年に当時の当時肝煎であった岩渕良作氏の発願により再建され今に続きます。

そして神仏分離令により1869年(明治2年)に長谷寺から白山神社が分離することになり、神社として独立します。

つまり神社としての歴史はおよそ1250年ほどの歴史があると言っても良いと思います。

白山神社の境内のある場所は、山の中では比較的低い土地ではありますが、山の上といった感じで見晴らしが良いです。

境内には様々の碑石や社のほか、初瀬稲荷神社および愛宕神社があります。

はじめの方に少し触れましたが、この白山神社は登米市が管理する「中田長谷山公園」の上にあります。

中田長谷山公園は北上川を見下ろすことができ、とても気持ちの良い場所です。

中田長谷山公園は1971年(昭和46年)に当時の中田町の浅水公民館(浅水コミュニティ運営協議会)の事業によって数多くの桜の苗木が浅水地域の住民の方々の手によって植林されました。

桜の植林事業からおよそ50年ほど経った今では、桜の苗木が立派な成木となり、毎春見事な桜を咲かせるようになりました。昨年撮影した白山神社および中田長谷山公園の周辺の桜の写真です。

私は見事な桜の木の物量に圧倒されました。とても気持ちが良いお花見スポットなので、毎春お花見をされる方が多くいらっしゃるといいなと願っています。

白山神社は、一般の参拝および現在もご祈祷の申し込みを受け付けています。神社の管理を現在は神主さん一人でおこなっているため、電話が繋がりづらいこともあると思います。

もうすぐ訪れる桜の時期にでも、ぜひ遊びに行ってみて下さい。

地域おこし協力隊
サイトー隊員

白山神社
〒987-0611 宮城県登米市中田町浅水長谷山315
電話: 0220-34-4861

米谷大橋から伸びる道路をお墓を目印に一本入った先の、右手に「遮那山 長谷寺」があります。

この長谷寺、長谷寺と書いて、「はせでら」とも「ちょうこくじ」とも読むそうで、どちらも正しいそうです。

この日は長谷寺の現在35代目の住職の、お母様(34代目住職の奥様)にお話を聴きに伺いました。

807年に当時の浅水地域の辺りを拠点と定めた葛西氏の家臣の方々のためのお寺として、坂上田村麿によって勧請されたとされています。

この長谷寺のある長谷山はかつては「初瀬山」と書き「はせやま」と呼んでいました。初瀬山に長谷寺ができることで「長谷山」となったと言われております。

日本三長谷寺の一とされており、奈良の長谷寺を「本長谷寺」と言い、比較的時代が新しい鎌倉の長谷寺を「新長谷寺」と呼ぶことで、こちらの長谷寺は「奥長谷寺」と称すようです。

先日ご紹介した「光明寺」さんが同地域にできるまでの間の1584年までの777年間は、浅水地域の方々のご供養も行っていたそうで、光明寺さんが開山されてからは、檀家さんのご供養を光明寺さんにお任せすることになったそうで、その時代から現在に至るまで本来のご祈祷寺として残っています。

長谷寺には大きく分け、2つの施設があり、修験道場と観音堂があります。通常のご祈祷の際は修験道場にて祈祷を行うそうです。

こちらが修験道場になります。

長谷寺と書いてあります。

修験道場内には2代目のご本尊ほか長谷寺の歴史が詰まっていました。

山神様の社に今は一緒に祀られている、2代目ご本尊の十一面観音菩薩像 。

 続いて観音堂。

観音堂にはご本尊である「十一面観世音菩薩」があり、現在のご本尊は平成元年に製作された3代目になります。

奥州が伊達藩となった1590年に長谷寺は焼き討ちにあい、その際に1代目のご本尊とお堂は焼けてしまったそうです。

観音堂の内部の写真になります。中央には儀式のための護摩がありました。
いたる箇所に歴史的意義のある作品があり歴史の桁の違いに圧倒されました。

長谷寺の3代目本尊である「十一面観世音菩薩」は登米市の指定有形文化財とされており、奥州七観音の内の1つとされています。

この十一面完全音菩薩は、33年に1度しか御開帳されません。前回は1990年(平成2年)に御開帳され、その際は浅水地域をあげた盛大なお祭りが行われ、3日間御開帳されました。

次回の御開帳は2023年(令和5年)に御開帳されます。
護摩供養などを含め、御開帳に関連したイベントを企画しているそうです。

長谷寺といえば、十一面観世音菩薩のほかに、遮那桜があります。こちらのは遮那桜は源義経の子供時代に義経本人が植えたとされています。

この源義経すなわち遮那王のエピソードがあり、初瀬山のことを遮那山と呼ぶようになったそうです。

観音堂には、遮那桜を剪定した際に出た木材で作られた作品が展示されていました。

長谷寺は1868年の神仏分離が行われ、長谷寺から同地域の神社「白山神社」さんができたと言われております。

長谷寺は現在も、ご祈祷を行っております。
パワーを頂きに、1200年の県北の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

地域おこし協力隊
サイトー隊員

遮那山 長谷寺
〒987-0611 宮城県登米市中田町浅水長谷山288
電話: 0220-34-6495

浅水の「光明寺」さんに行ってきました

いつもお世話になっております。地域おこし協力隊の齋藤です。
協力隊として活動できる期間もあと僅かということで、初心に帰り浅水地域にある施設などをブログで紹介できる限り紹介していこうと思います。

浅水地域内、長谷山にある「照谷山 光明寺」さんに行ってきました。

光明寺さんは、慶長14年(1584年)に開山して以来、436年間、浅水地域の多くの檀家さんの供養を行ってきたお寺になります。

車で坂を登ると、開けた場所にとても立派なお堂があります。
この日は光明寺の奥様から光明寺と浅水地域について教えていただきました。

浅水の長谷山には(807年より)長谷寺というお寺があり、長谷寺は当時の貴族のための修行寺という側面が強かったようで、光明寺は庶民のための供養寺として開山し、今に至るまでその役割を果たし続けてきたそうです。

現在のお堂は、2003年より始まった本堂建設計画着工の後、2018年に工事の全行程が完了し、現在の状態になっているそうです。着工から15年ほどの年月をかけ、現在の状態になっています。

これほどまでに時間をかけ凝った新本堂を作った背景には、ご住職の思いがありました。
お寺という存在は、宮城県や登米市のものでもあり、檀家さんのものでもあり、浅水地域の方々のものあり、文化的背景のある地域の公共物でもあり、縁者の方々の心のよりどころでもあるという「不思議で大事な場所である」という思いから、これからも長く存続し続けることのできる、新しい本堂を作ったそうです。

この建設計画の建設委員会には、檀家さん以外にも多くの浅水地域の方々が多数参加しており、地域の方が建設業者の方々にお餅などをお振る舞いをしたり、地鎮式等の準備をしたり、地域が一丸となり建造に携わった様子が掲示されていました。「垣根を超えてみんなが協力してくれる。それが浅水地域の魅力。」と教えていただきました。


広々としたお堂は清々しく、心が清まるようでした。大昔から浅水地域の方々に支えられ、浅水地域の方から寄贈された物なども多数あると解説をいただきました。

こちらの新しい本堂は、檀家さんの他にも、一般の方もご参拝することができるとのことで、最近は御朱印を貰いに来る方が増えたとのことです。

ご参拝いただく際は事前にお電話をいただけると、助かるとのことでした。

地域おこし協力隊
サイトー隊員

照谷山 光明寺
〒987-0611 宮城県登米市中田町浅水長谷山364
電話: 0220-34-2001