いつもお世話になっております。地域おこし協力隊の齋藤です。
浅水地域内、長谷山にある「遮那山 長谷寺」へ行ってまいりました。
米谷大橋から伸びる道路をお墓を目印に一本入った先の、右手に「遮那山 長谷寺」があります。
この長谷寺、長谷寺と書いて、「はせでら」とも「ちょうこくじ」とも読むそうで、どちらも正しいそうです。
この日は長谷寺の現在35代目の住職の、お母様(34代目住職の奥様)にお話を聴きに伺いました。
807年に当時の浅水地域の辺りを拠点と定めた葛西氏の家臣の方々のためのお寺として、坂上田村麿によって勧請されたとされています。
この長谷寺のある長谷山はかつては「初瀬山」と書き「はせやま」と呼んでいました。初瀬山に長谷寺ができることで「長谷山」となったと言われております。
日本三長谷寺の一とされており、奈良の長谷寺を「本長谷寺」と言い、比較的時代が新しい鎌倉の長谷寺を「新長谷寺」と呼ぶことで、こちらの長谷寺は「奥長谷寺」と称すようです。
先日ご紹介した「光明寺」さんが同地域にできるまでの間の1584年までの777年間は、浅水地域の方々のご供養も行っていたそうで、光明寺さんが開山されてからは、檀家さんのご供養を光明寺さんにお任せすることになったそうで、その時代から現在に至るまで本来のご祈祷寺として残っています。
長谷寺には大きく分け、2つの施設があり、修験道場と観音堂があります。通常のご祈祷の際は修験道場にて祈祷を行うそうです。
こちらが修験道場になります。
修験道場内には2代目のご本尊ほか長谷寺の歴史が詰まっていました。
山神様の社に今は一緒に祀られている、2代目ご本尊の十一面観音菩薩像 。
続いて観音堂。
観音堂にはご本尊である「十一面観世音菩薩」があり、現在のご本尊は平成元年に製作された3代目になります。
奥州が伊達藩となった1590年に長谷寺は焼き討ちにあい、その際に1代目のご本尊とお堂は焼けてしまったそうです。
観音堂の内部の写真になります。中央には儀式のための護摩がありました。
いたる箇所に歴史的意義のある作品があり歴史の桁の違いに圧倒されました。
長谷寺の3代目本尊である「十一面観世音菩薩」は登米市の指定有形文化財とされており、奥州七観音の内の1つとされています。
この十一面完全音菩薩は、33年に1度しか御開帳されません。前回は1990年(平成2年)に御開帳され、その際は浅水地域をあげた盛大なお祭りが行われ、3日間御開帳されました。
次回の御開帳は2023年(令和5年)に御開帳されます。
護摩供養などを含め、御開帳に関連したイベントを企画しているそうです。
長谷寺といえば、十一面観世音菩薩のほかに、遮那桜があります。こちらのは遮那桜は源義経の子供時代に義経本人が植えたとされています。
この源義経すなわち遮那王のエピソードがあり、初瀬山のことを遮那山と呼ぶようになったそうです。
観音堂には、遮那桜を剪定した際に出た木材で作られた作品が展示されていました。
長谷寺は1868年の神仏分離が行われ、長谷寺から同地域の神社「白山神社」さんができたと言われております。
長谷寺は現在も、ご祈祷を行っております。
パワーを頂きに、1200年の県北の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
地域おこし協力隊
サイトー隊員
遮那山 長谷寺
〒987-0611 宮城県登米市中田町浅水長谷山288
電話: 0220-34-6495